
井戸を掘ったら軍隊が出てきた
写真:CEphoto, Uwe Aranas · CC BY-SA 3.0
1974年、西安近郊で井戸を掘っていた農民が陶片を掘り当てました。始皇帝の軍団でした。彼らが守る陵墓は今も閉ざされたままです。
1974年の春、西安の東の畑はからからに乾いていました。驪山のふもとの西楊村で、農民の楊志発と兄弟たち、それに隣人の王普治が井戸を掘ることにしました。2メートルほど掘ったところで、鍬が何か硬いものに当たりました。焼き固めた土です。続いて破片がいくつも出てきて、小さな青銅の鏃も見つかりました。
村の誰も、それが何なのか知りませんでした。畑の下に兵士が眠っているという言い伝えもなければ、そんなことを書いた古い本もありません。破片は瓦礫として捨てられてもおかしくありませんでした。実際、考古学者はのちに近くで、もっと古い墓を見つけています。その墓を掘った人たちは陶片に行き当たりながら、土と一緒に埋め戻してしまったようなのです。今回は、知らせが臨潼県文化館の趙康民のもとに届きました。彼は村に来て農民が掘り出した破片をすべて集め、すでに売られてしまった鏃も買い戻し、破片を一つずつつなぎ合わせ始めました。姿を現したのは、等身大の兵士でした。

一つの坑、そして軍団
その年の7月、正式な発掘が始まりました。何が埋まっているのかをつかむまでに、1年以上の試掘が必要でした。1号坑だけで東西230メートル、南北62メートルあります。試掘で出た俑の密度から、博物院はこの坑に陶製の兵士と馬が約6000体あると推定しています。11本の長い通路に並び、その間には本物の青銅の武器があります。
近くからさらに二つの坑が見つかりました。一つは騎兵、戦車、ひざまずいて弓を射る兵士の坑、もう一つは小さめで、将校たちの司令部のように見えます。4つ目の坑は空で、完成しなかったのかもしれません。これまでに発掘された俑は2000体を超えますが、軍団の大部分はまだ地下にいます。
近くで見ると、一人ひとりの人間です。胴体は限られた種類の型から作った部品を組み立てたものですが、顔や髪、ひげ、帯は手で仕上げられていて、隊列は個性豊かな人々でいっぱいに見えます。もともとは赤、緑、青、ピンク、そして今では「漢紫」と呼ばれる顔料で鮮やかに彩色されていました。西安の乾いた空気の中では、掘り出して数分のうちに彩色がめくれて剥がれてしまうことが多く、発掘がとてもゆっくり進む理由の一つになっています。
西安の見どころ兵馬俑 秦始皇帝陵博物院(兵马俑)中国初の皇帝の陵墓を守る、等身大の土の兵士数千体。司馬遷が書いたこと
軍団は東を向き、西へ約1.5キロのところに巨大な墳丘があります。その下にあるのが嬴政の陵墓です。秦の王だった彼は紀元前221年までにほかの国々を征服し、「始皇帝」、つまり最初の皇帝を名乗りました。
この陵墓について詳しく書き残した記録は、約100年後の歴史家・司馬遷による『史記』だけです。それによると、工事は皇帝が13歳で即位するとすぐに始まり、天下統一後には全国から70万人以上の労役者が送り込まれました。彼らは地下水の層を三つも掘り抜き、墓室を銅で固めました。中は宮殿や百官、珍しい宝物で満たされました。職人たちは、近づく者を自動的に射る弩を仕掛けました。水銀で川や海を作って流し、天井には天の姿を、床には地の姿を備えました。「人魚の膏」で灯をともし、長く消えないようにしたとあり、これは鯨やアザラシの油と解釈されるのが一般的です。さらに司馬遷は、埋葬が終わると、墓の仕掛けを知る職人たちは中に閉じ込められたと書いています。
長いあいだ、これは大げさな話のように思われていました。ところが墳丘の土壌を調べたところ、水銀の濃度が異常に高いことがわかり、多くの研究者がこれを司馬遷の記述を裏づけるものと見ています。別の原因を考える研究者もいます。そして意外なことに、陵墓をこれほど詳しく書いた司馬遷が、土の軍団についてはひと言も触れていません。兵馬俑は、まったく思いがけない発見だったのです。
誰も開けていない陵墓
墳丘そのものは一度も発掘されていません。考古学者は周囲で城壁や門、建物の跡、そして銅車馬、陶製の曲芸師や文官、石の鎧、青銅の水鳥などが納められた数百の陪葬坑を確認し、墳丘も科学的な機器で調べてきました。それでも墓室は閉ざされたままです。中国の文化財当局は、まず研究と保護の計画が必要だという立場で、空気に触れると消えてしまう彩色もその理由の一つです。
ですから、地下に本当に何があるのか、誰も知りません。『史記』には、秦が滅んだあと反乱軍の指導者・項羽がこの陵墓を掘り返したという非難も記されていますが、誰かが本当に墓室までたどり着いたのかどうかは今も議論が続いています。今のところ、皇帝は秘密を守り、その軍団は見張りを続けています。
今、訪ねるなら
今では各坑の上に大きな展示ホールが建ち、坑道に立つ兵士たちを上から見下ろせます。ときには、その間で作業する考古学者の姿も見られます。無料のシャトルバスが兵馬俑坑と始皇帝陵の遺跡公園を結んでいて、そこでは木々に覆われた、まだ誰も開けていない墳丘を見ることができます。チケットと行き方は兵馬俑のページをご覧ください。
この物語に出てくる場所
出典
- Emperor Qinshihuang’s Mausoleum Site Museum: About the museum and the mausoleum (bmy.com.cn)
- Emperor Qinshihuang’s Mausoleum Site Museum: Pit 1 (bmy.com.cn)
- Sima Qian, Records of the Grand Historian, chapter 6: Basic Annals of Qin Shi Huang (Chinese text) (zh.wikisource.org)
- National Museums Liverpool: Top 10 facts about the Terracotta Warriors (liverpoolmuseums.org.uk)
- Wikipedia: Terracotta Army (secondary) (en.wikipedia.org)
伝説は伝説として紹介します。歴史家の間で意見が分かれる点は、そう明記します。


